また逢う日まで
はじめてのひとり旅【ロンドン】#37
おはようございます。早姫です。
6月7日土曜日。晴れ。
さぁ、ついに一ヶ月間のロンドンでのホームステイを終え、今日は日本に帰る日。正直、疲れすぎていて涙の別れという心情ではなかった。
私が帰るこの日、カレンが勉強を教えていた女の子が、家に来ていたのを覚えている。ファミリーはもちろん、彼女も一緒にByeByeをして、別れを惜しんでくれた。
帰る前に、ファミリーとは今後も繋がっていられるよう、Facebookで友達になっておいた。Aちゃんに教えて貰って、アカウントを作ったのだ。日本では当時、Facebookはまだ全然浸透しておらず、メインで使っていたのはmixiだったと思う。
日本へのお土産を入れ、パンパンになったスーツケースと、貴重品の入ったショルダーバッグを持ち、家を後にする。ファミリーの車で、駅まで送ってもらい、そこからはアンダーグラウンドへ。ここでもなんと、女神Aちゃんがヒースロー空港まで付き合ってくれた。
ヒースロー空港は、我々の家があるWood Green駅の、ピカデリーラインの終点で、空港行きに乗れば、直行できる。ヒースローエクスプレスなる高級列車もあったけど、まぁ、ピカデリーラインでいいかな。ということで、なかなか遠いけど、アンダーグラウンドで行くことにする。
ただ、ヒースロー空港はめちゃくちゃ大きいので、ターミナルによって駅が変わるのだ。その辺のことを、Aちゃんがちゃんと取り計らってくれて、私を、指定の便のターミナルまで送ってくれ、挙句チェックインまで済ませてくれた。
帰りも、もちろん大韓航空で。この時Aちゃんは、チェックインカウンターで、流暢な英語でスムーズに手続きをしてくれた。いや、これもうオカンやん。ホンマにお世話になりすぎてたなぁ、私。ちなみにこの時、Aちゃんがカウンターのお姉さんに
「私は付き添いで、彼女一人が搭乗するの」
と言っていた部分だけ、英語が聞き取れたので、よく覚えている。
国際線は、かなり早めにチェックインをしておく必要があるので、早めに荷物チェックをして、中に入っておくことにする。
一ヶ月間、おもしろ家族の元で一緒に過ごしたAちゃんとも、ついにお別れ。Aちゃんも、間もなく日本に帰るので、その前に、日本から来るご両親と合流して、エディンバラの方で少し旅行するらしい。
この時は、あまり何も考えてなかったけど、Aちゃんて、もしかしてめちゃくちゃお嬢さんやったのか?東京の子とはいえ、あんなに面倒見がよくて、穏やかな子を見たことがないもの。心の余裕が凄かったもの。さらに、
家族でエディンバラ旅行とか、ファビュラスすぎるやん。
さて、 Aちゃんと別れ、搭乗エリアに入った私。搭乗時間まで時間がありすぎるので、免税エリアを見ることにする。バラマキ用おやつは買ったし、特に買い足すものもないので、自分の好みのものがありそうなエリアを物色。実は、今回のこの旅では、自分へのお土産はナシ。という決まりを作っていて、というのも、既に留学費で大金を使っているし、なによりダンス留学という目的のための渡英だからだ。この旅こそが自分へのプレゼント。ってワケ。ほんで、ポンドが地獄のように高いしな。
しかし、しかしやな。実は買い物大好きのこの私、こんな楽しい所に来たら、なんか欲しいやん。いや、ちょっとこのサングラスエリア素敵やん。え、ちょっ、このGUCCIのサングラス見て!私に似合いすぎるやん!
いや私さ、一ヶ月頑張ったよな?お土産なしとかゆーて、旅の思い出が欲しいやんな?これ、似合うやんな?買うやんな?という流れで、サングラスをお買い上げ。最後の最後に【免税】という安易なトラップにやられてしまった。
いやだって、めちゃくちゃ気に入ったんやし、その後日本でもめちゃくちゃ使ったし、結果オーライや。
お気に入りのサングラスを手に入れた私は、KOREAN AIRの飛行機に乗り、いよいよ日本へ飛び立つ。帰りって、なんでこんなに早いんやろな?疲れも相まって、記憶がゼロ。行きとはえらい違い。韓国での乗り継ぎも、全く覚えていないが、機内食の変な寿司が、シャリシャリ凍っていたのは、よく覚えている。つまり、不味い。
さて、無事関空に到着し、荷物も問題なく受け取った。一ヶ月間のロンドン生活で、ぐったりの私を、母が空港まで迎えに来てくれていた。ありがたやー。といっても、車ではなく電車なので、一緒に電車で帰るだけなのだが。
母と関空快速に乗り込み、ここで【例のアレ】を受け取る。そう、私がロンドン到着初日に失くした携帯電話。あの時、失くしたものがそのまま、手元に戻ってきた(といっても別の新品のものだが)。色々ありがとうございます。頭が上がりません。
今ほど、携帯で友人と繋がりがある時代ではなかったので、被害は全くなったが、メール問い合わせをしたところ、100件超えのメールが一気に入ってきたのをよく覚えている。
まぁ、この時は無職だったし、特に重大な要件もなくて本当に助かった。
人生で初めて、ひとりで海外に行った大冒険は、今、思い返しても、凄く良い経験だった。当時、とても社交的とは言えなかった私が、よそ様のお家で過ごし、日本人とはいえ、友達もできた。ダンススタジオにも乗り込んだ。ミュージカルも見たし、外国人同士が集まるパーティにも行った。地下鉄もバスも買い物も食べ物も全部新鮮だった。不親切な人もいたし、それ以上にフレンドリーな人が沢山いた。
全てが、今に活きていると感じる。旅こそが、人生そのものだ。