小説•タロットマスターRuRu
Chapter1.園絵琉々③
しばらくの間、ウトウトの心地よさを楽しんでいると、ノックの音がした。しかし、客が来るにはまだ早い時間である。
「はぁーい!」琉々は入口に向かって大きく返事する。インターフォンなどないこの屋敷では、こんな風に、アナログな対応を続けているのだ。琉々は、立ち上がってパタパタと小走りで扉へ向かう。
『安川のおばあちゃまかしら?』そう推理してガチャリと扉を開けた。
「こんにちは!琉々ちゃん」
「あら、安川のおばあちゃま!こんにちは。お久しぶりです」琉々は笑顔で言った。
訪ねてきたのは、祖母の古くからの友人である、安川フミだった。この近くに住んでいて、たまに屋敷を訪れるのだ。
「毎日暑いわねぇ。夏バテなんてしてない?ほらこれ。スイカどうぞ」
「わぁ!嬉しい!ありがとう」
琉々は、四分の一ほどにカットされているそのスイカを、前屈みになって受け取った。十センチほどあるヒールを履いている琉々の身長は170センチ近くなるので、小柄な安川との身長差はかなりある。両手で受け取ったスイカはずっしりと重く、冷えている。すぐに食べられるよう、安川がよく冷やしておいたようだ。琉々の幼い頃からよく知っている安川は、友人である祖母が移住した後も、時々、こんな風に差し入れを持って、琉々の様子を見に訪ねて来るのだ。息子夫婦と離れて過ごしている安川は、琉々を自分の孫のように可愛いがっている。琉々の祖母が海外へ引っ越した後は、さらにその気持ちが強くなっているようで、琉々もそれを感じ取っているが、不快に思ったことはなく、むしろ感謝している。夏の強い西日が、二人を照らしている。
「琉々ちゃん、最近はお仕事どう?変わりはない?」汗の滲む顔を、安川はハンカチで抑えながら話す。
「えぇ。少し忙しいくらいで、ほとんど変わりはないわ」
「そう。よかったわぁ。今はこんな状況でしょう?最近はほら、リストラが増えているみたいで私、心配してたのよ」
「そうね。業種によってはそうみたいだけれど、うちは、むしろ需要が上がっていて、ちょこちょこ残業もあるの。今日も危うく残業になりそうだったけど、なんとか終わらせて来たわ。金曜日の夜だけは、スケジュールを死守しないとね!」琉々は、袋に入っているスイカをグッと両腕に抱え込んで力強く言った。
「ふふ。元気そうで良かった。ここも、変わりなく繁盛しているみたいね」屋敷を眺めて、安川は目を細める。
「今日も予約でいっぱいよ。と言っても、毎週三件だけしか予約は取っていないけど」
「琉々ちゃんも、おばあちゃんみたいに、タロットリーディングを専門にしたらいいのに。絶対、毎日お客さんが途切れないわ」これは、琉々がこの場所を受け継いだ時から安川がずっと言っていることである。
「それは嫌。私、会社勤めも気に入ってるの。リーディングだけでやっていくつもりはないわ」琉々は小さく肩をすくめて、いつもと同じ回答をした。会社という組織にいることで、現実社会と繋がっていることに、琉々は少しだけ安心感を得ているのだ。幼い頃から、この魔法使いのような家で遊んで育った琉々は、その影響を受けて幼少期はフワフワとした雰囲気で、言動も少し変わっていたので『不思議ちゃん』扱いを受けたこともあった。思春期になってそれに気づいた。
「勿体無いわぁ。琉々ちゃんがこの業界で有名になるの、おばさん楽しみにしてるのに」冗談混じりに言ってみせたが、本当にそう願っている。
「じゃあ琉々ちゃん、今日も頑張ってね!また来るわ」開店準備の邪魔にならないよう、安川は話を切り上げた。
「いつもありがとう!スイカ、早速頂くわ」両手が塞がっているので、琉々はウィンクで別れの挨拶をした。
部屋に戻った琉々は、冷えたスイカを、キッチンで一口大にカットして、お皿に盛りつけた。リーディングで使う部屋とは別に、小さなダイニングスペースがある。簡単な料理なら、ここできるのだ。幼い頃は、祖母がよくお菓子を振る舞ってくれた。使いこまれたダイニングテーブルに着いて、スイカを口に運んだ。みずみずしく甘いスイカが口の中に広がり、身体に染み込んでいく。先程の外の暑さがスッと溶けていくようだ。ゆっくりと味わい、身体の熱を冷ます。
「さてと…」
食べ終わった琉々は、着替えへと向かう。仕事用の服から、少しゆったりとしたワンピースへ着替えて、お客さんを迎える準備へと入る。強かった西日は沈みかけ、空は夜の色が混じったグラデーションへと変化していた。
「さぁ。皆、今日もヨロシクね」琉々は、積み上げられたカードの箱たちに向かって話しかけた。応接スペースのシャンデリアの灯りを付けると、屋敷の中が優しい色に包まれた。続いて、テーブルの上の蝋燭にも火を点ける。ゆらゆらと揺れる炎は、心を落ち着かせてくれる。琉々は、お客さんにはなるべくリラックスしてもらえるよう、空間を整えることにしている。実際、この屋敷の中はタロットや占いというよりも、まるでリラクゼーションサロンのようである。
心地よい空間で、リラックスしてもらえることで、相手の深層心理まで掘り下ることができるのだ。そのため、ここに通っているお客さんの満足度はとても高い。リピート客が多い理由である。琉々が、蝋燭の炎を眺めていると、コンコンとノックの音がした。
「はぁい」返事をしながら足早にドアへ向かう。ガチャリ、と内側からドアを開けると、グラデーションの空が見えた。陽が落ちて少し暑さが和らいだように感じる。
「こんばんは。いらっしゃいませ」
大きな目を細めて笑顔でそう言うと、客を中へと招き入れた。週末の、長い夜の始まりである。